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釣の雑誌等を見ると「今日は、久しぶりに釣の醍醐味を味わった!」等と書かれてある事がある。これは語源から云うと「今日の釣は、生涯で最高の釣を堪能出来た!」と云う事に他ならないのである。この醍醐味と云う言葉は、その語源を調べるとやたら滅多に軽々しく使う言葉ではない事が分かって来た。そもそも醍醐と云う文字は古代インド、中央アジアに起源を持ち、我が国では聖徳太子の時代以前から、乳製品の一種の蘇等と一緒に醍醐なる物を食していたと云う高級食材の一つであったのである。
醍醐味の 醍 醐 とは
@五味の中の第五番目(乳味⇒酪味⇒生酢味⇒熟酢味⇒醍醐味)から来ている。乳を精製して得られる中で最も美味なる物。仏教の経典「涅槃経」の中に乳の精製の過程が書いてある。その醍醐は転じて、仏教の最高真理の意に例えられているのだ。
? 涅槃経の一説に「牛より乳を出し、乳より酪を造り、酪から生蘇を造り、生蘇より熟蘇を造り、熟蘇より醍醐を造り、醍醐最上なり。もし服用する者あらば衆病皆除く。あらゆる諸楽ことごとくその中に入るが如く、仏も又かくの如し。」とある。
A京都伏見区の地名。
醍 醐 味 となると
@仏教用語で醍醐の様な最高の教え。天台宗の五時教の第五、法華般若時を云う。
A醍醐のような味、即ち美味を褒めていう言葉。
B深い味わい。本当の面白さ。@、Aからの例えから来ている。
注:五時教
釈尊の一生の間の説法を五期に分けて区分された教相判釈。天台宗の説。
華厳時(37日)、阿含時(12年)、般若時(22年)、法華涅槃時(8年一日半夜)の合計が50年となっている。
この醍醐なる乳製品は北インド、中央アジア辺りの古代牧畜文化圏では当たり前に食していた物である。仏教用語で云うの醍醐なる物は古代インドからシルクロードを経て中国、朝鮮を経由し仏教ともにわが国に伝えられた。我が国への仏教の伝来は、北伝仏教(大乗仏教)と歴史教科書で習っている。遠くインドで生まれた仏教は釈迦の死後300〜500年経って後に、伝承の形で伝えられて来た釈迦の説法を集めインドで経典となったが、弟子達の解釈の違いなどから色々な経典が生まれている。その仏教はまず初めに北インド(牧畜文化圏)からヒマラヤ山脈を越えて中央アジアに伝えられた。その中央アジアでは古代より遊牧騎馬民族(牧畜文化圏)の興亡を繰り返してきた土地である。そして彼らが支配するシルクロードの道を通り、中国、朝鮮半島を経由して日本に伝えられたものだ。牛と馬の違いが有ったとしても遊牧騎馬民族が主食としてきた物の中に、色々な乳製品があったことに注目したい。中国へ伝えられた仏教の経典の多くは、梵字(サンンスクリット)である。その梵字を漢字に翻訳する事で中国に仏教が広がって行った。4世紀に亀茲国(きじこく)の王女と、インドからの亡命貴族の父を持つ王子として生まれたのが鳩魔羅什(くまらじゅう)がである。しかし彼は王位継承権の争いの為に、出家してインドに留学している。その後、仏教僧鳩魔羅什は後秦に攻められて、捕虜となり中国に連行され半ば幽閉状態とされる中で仏教経典の漢語の翻訳を行わされた。その時の翻訳として阿弥陀経、大品般若経、法華経、維摩経、大智度論、中論などその他多くが残り、現在もその書き写しが実際に各宗派で使われている。
醍醐をはじめとした乳製品は、560年頃に百済からの帰化人の医師知総とその子善那により伝えられたと云われている。善那が蘇を孝徳天皇に献上し、その功で大和薬使主の姓をもらい乳長上という官職を授けられたとある。しかし、その後平安時代から鎌倉時代の終わり以降、乳製品の加工技術が廃れてしまった。何故かわが国の乳製品は朝廷の政治の終焉とぴったりと符合し、その後ぱったりと途絶えている。それは一部の権力階級=天皇及び高級貴族等の貴重な食材であったからに他ならない。武士の時代となり牛よりも戦いの為の馬を飼う様になったことと、仏教の大衆化と僧侶なる者共の不殺生戒(生き物を殺してはいけない)が日本的な拡大解釈がなされた結果、すべての生き物を殺して食すべからずと云うわが国独特の仏教の教えと関係が有るように思えるのである。
しかし、乳製品としての醍醐は廃れても何故か仏教用語としての醍醐なる言葉だけが後世に残った。我々はそんな醍醐と云う文字に秘められた深い意味も知らずに、日常的に軽々しく使っているのである。
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